2016年6月14日火曜日

social impact dayに参加

今日はsocial impact dayに参加した。セミナーで4時間時間を取られるのは厳しいが、感じたことをまとめてみる。
私の場合2010年にVCを引退して、会社を設立した。社会的なインパクトを通貨にをキャッチフレーズに、ソーシャルインパクト・リサーチを設立した。この名前はすごく気に入っています。この5年あまりのソーシャルセクターの大きなうねりを見事に表すことができたのだから。
現在は、ソーシャルインパクト評価バブルの様相だ。自戒も含めて、インパクト評価はソーシャルセクターのインテリが興味を持ちやすい、いわばソーシャルインテリのおもちゃだ。評価というものは自己満足だけにとどまればいいが、他の人への外部性を有している点が厄介である。
ソーシャルセクターの人はナイーブだなと感じることが多い。目に見えないものが見えるようになる、数字で表せないものが定量化できる、比較可能になることに嬉々として目を輝かせる。
果たして、インパクト評価が広がることは日本社会に進化をもたらすか、それとも停滞をもたらすのか?
実は、社会的評価を実装した失敗例は枚挙にいとまがない。例えば、日本の偏差値教育教育だ。これは、比較可能性とともに画一性をもたらし、明らかに社会的な停滞をもたらした。
企業でも評価基準を入れた結果大失敗した例はたくさんある。ソニーEVA。最近では伊藤レポートの ROE8%もすでに失敗だ。
評価指標のマイナスは、多様性が失われる、イノベーションが起こしにくくなる、画一化を促す。新しいものが試しにくくなる。
社会的なインパクトを見える化すればお金が付いてくると単純に考えるのもあまりにナイーブだ。英国のソーシャルストックエクスチェンジは、インパクトを可視化してもお金全然集まっていないし、機能していない。
私の考えでは、ソーシャルセクターはミッションが第1、インパクトが第3ぐらいの位置付けがちょうどいい。様々な社会課題を当事者として直面した社会起業家が、その課題を解決したいという思いがミッションであり、第1。第3者の外野の評価は第3ぐらいの位置付けがいい。これが逆に、インパクトが第1、ミッションが第2になったら、日本のソーシャルセクターの健全な成長は到底望めないだろう。
VC業界でも評価する側が強くなりすぎると、新しいイノベーションの芽が生まれにくくなる傾向がある。当事者と外野の見える景色は本当に全然違うものなのだ。ソーシャルセクターで事業をやっても2-3年先は全くわからないのだから。
大切なものは目に見えな大切なものは目に見えない。この 星の王子様の言葉を我々は胸に刻もう。

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